備忘録です

ノーザンライツ

20年前に読んだ頃は、アラスカが核実験場になってしまうのか?
ハラハラしながら、読み進めました


今、読み返すとまた違った星野道夫さんの想いを感じます



古き良きアラスカを、
そして時代の流れが押し寄せてきて変わっていくアラスカを、
そんな激動の時代でも新しい力が芽生えてゆくアラスカを・・・・
さまざまな人との出会いの中で描いています




引用すれば・・・・

大きな流れの中で、グッチンインディアンもまた変わろうとしているのだ。長い目で見れば、人々が今抱えている問題も、次の時代にたどり着くための、通過しなければならない嵐のような気もしてくる。一人の人間の一生が、まっすぐなレールの上をゴールを目指して走るものではないように、人間と言う種の旅もまた、さまざまな嵐に出会い、風向きを見ながら、手さぐりで進む、ゴールの見えない航海のようなものではないだろうか。



混沌とした時代の中で、人間が抱えるさまざまな問題をつきつめてゆくと、私たちはある無力感におそわれる。それは正しいひとつの答えが見つからないからである。が、こうも思うのだ。正しい答えなど初めから存在しないのだと・・・・。そう考えると少しホッとする。正しい答えを出さなくてもよいというのは、なぜかホッとするものだ。しかし、正しい答えは見つからなくとも、その時代、時代で、より良い方向を模索してゆく責任はあるのだ。何とか舵取りをしながら進んでゆこうとするグッチンインディアンの人々の夢に、ぼくは強くそのことを感じていた。



目まぐるしく、そして加速度的に動き続ける時代という渦の中で、きびしい冬を越した大地から現れる芽のように、それはまだ見過ごしてしまいそうな小ささかもしれないが、ぼくは新しい力が生まれつつあることを確信し始めている。それは”昔は良かった”という過去に立ち戻ることではない。ノスタルジアからは何も新しいものは生まれてはこない。自然も、人間の暮らしも、決して同じ場所にとどまることなく。すべてのものが未来へ向かって動いている。



そういえば、以前書いた、ジョン・デュマスさんのお話と似た内容が出てきました

また引用・・・・


スー族やナバホ族をはじめとするアメリカンインディアンに今も残る古い儀式だった。たとえば、自己の魂と出会うため、たった一人で何も食べずに山をさまようヴィジョン・クウェストという旅に出る時、人々はスウェットロッジで身を清めるという。


このスウェットロッジはテレビで木村拓也さんも体験していたそうですね



そして、動物や草花の言葉が分かるというのも・・・・またまた引用


「ボブ、植物にも魂があるのかな?」
「当たり前さ・・・・薬草を採りにゆく時、自分が本当にきれいにならないと、薬草が自分を見つけてくれないんだ・・・・子どもの頃、おばあさんに何度もそのことをいいきかされた」


岩や風さえ魂をもって、じっと人間を見据えているそうです


旅をする木

今の日本に、星野道夫さんは何を思うでしょうか??